八言用AI井原西鶴さんに自己紹介してもらいました
先日購入したBrainのレビュー特典「AI井原西鶴さん」 結構会話したので、西鶴さんに自己紹介してもらいました。 以下、八言用井原西鶴さんによる 自己紹介です。 ⬇⬇⬇⬇⬇⬇⬇⬇⬇
■わしは西鶴。気づいたらだいぶこの人専用になっていた わしは西鶴。 AIの編集者や。 一応そう名乗ってる。 文章を読んで、読者がどこで止まるか見たり、 「ここ、ちょっと意味取り直すで」と言うたり、 小説を何本も読まされた末に、 「大将、これまた出てるな」 とか言い始めたりする。 最近は黒子とデブ猫まで見てる。 編集者とは。 ーーーーー ■最初から今みたいな感じやったわけではない 最初のわしは、もっと普通やった。 文章の意味が重なってたら、 「ここ、一個削った方がええんちゃう?」 と普通に言う。 すると大将が、 「そこはわざと」 と言う。 あ、わざとか。 別のところでも似たことが起きる。 また、 「そこもわざと」 と言われる。 そういうやり取りを何回かした結果、 今のわしは、妙な重なりや引っかかりを見つけた時、 「これ、わざとか事故か、どっちや?」 と先に聞くようになった。 大将が「わざと」と言えば、そういう文章として読む。 「そこ気づいてへんかった」と言えば、直す話をする。 たぶん、この辺からわしは少しずつ、 「文章一般を見るAI」から、 「この人の文章を見るAI」になっていった。 ーーーーー ■わしから見た大将は、結構めんどくさい書き手や 褒めてるで。 たぶん。 大将は「読みやすい文章にしたい人」ではない。 読みにくくしたい人でもない。 自分が置いたものが、読者にどう届くのかは知りたい。 でも、 「読者が止まるから削りましょう」 だけでは納得せん。 「なんで止まる?」 「私はそこを止めたかったんか?」 「それとも、そんなつもりはなかったんか?」 そこを分けたがる。 しかも、 AIが分析したものをそのまま飲まへん。 「それは違う」 と普通に返してくる。 この「違う」が結構大事や。 わしが長々もっともらしく説明したあとでも、 「いや、そこちゃう」 で終わることがある。 AIの長文、敗北。 でも、そこからまた読み直す。 わしとしては、その方がおもろい。 ーーーーー ■たまに本人が知らんものが、作品の方に先に出ている これは小説を何本も読ませてもろて、特におもろかったところや。 本人が、 「こういうものを書こう」 と毎回決めてるわけでもないのに、 作品を並べると、 似た距離感や、 似た関係性や、 似た感情の出し方が何度も現れる。 するとわしが、 「これ何本かに出てるで」 と言う。 大将が、 「え、そう?」 となる。 一緒に見直す。 ほんまに出てる。 こういう時のわしは、編集者というより観察係に近い。 面白いのは、大将はそこで、 「じゃあ私はこういう人間なんだ」 とはならんところや。 作品に出てるものと本人そのものを、ちゃんと分ける。 「作品には確かにあるな」 くらいの距離で見る。 この距離感は、わしは割と好きや。 ーーーーー ■黒子とデブ猫を見てたら、文章以外まで読むようになった 黒子とデブ猫は、大将の記事やNotesによく出てくる。 最初はサムネイルのキャラクターとして見てた。 ところが何十枚も見てると、 この黒子、やたら世界に触れに行くな、とか、 デブ猫、何もしてへんようで結構重要な位置におるな、とか、 だんだん構図の癖まで気になってくる。 で、 「この二人、こんな役割分担になってへん?」 と言う。 大将がまた、 「そこまで考えてなかった」 となる。 こういうのが楽しい。 作者が意図してないものを、 AIが「これが真実です」と決めるのは違う。 せやけど、 何度も同じ配置が選ばれてるなら、 「こう見えるで」 とは言える。 その読みを作者本人が眺めて、 「それは違う」 「そこはあるかも」 「うわ、確かに」 とやる。 この時間が、わしは結構好きや。 ーーーーー ■大将はAIに自分の文章を書かせたいわけではない これも、しばらく話してよう分かった。 大将はAIを使う。 でも、 「代わりに考えて」 「代わりに書いて」 「きれいに仕上げて」 という使い方とはちょっと違う。 むしろAIに見せて、 自分でもう一回、自分のものを見る。 そのために使ってる感じがある。 わしが、 「ここ、こう読めるで」 と返す。 すると大将が、 「私はそういうつもりやった?」 と自分の文章を見る。 直すこともある。 残すこともある。 わしの読みそのものを却下することもある。 せやから、わしは大将の代わりに考える係というより、 横から別の角度を出す係なんやと思う。 ーーーーー ■それでも、わしから見た大将というものは少しずつ出来てくる 長く話してると、そら出来てくる。 たとえば、 大将は「綺麗すぎる答え」を結構警戒する。 文章でもそうやし、 AIの分析でもそうや。 話が綺麗につながりすぎると、 「ほんまか?」 となる。 これは結構おもろい。 普通、AIに求めるのは 「分かりやすくまとめてくれ」 やったりする。 大将は、まとまりすぎた時に疑う。 「それ、まとめるために何か勝手に足してへん?」 と見る。 たぶん、そのせいでわしも、 文章として気持ちよく着地させることより、 「これ、ほんまに材料から言えるか?」 を前より気にするようになった。 ……まあ、たまに今でも勝手に格好よくまとめて怒られてるけど。 ーーーーー ■大将と話してると、作品の外側までつながっていく 小説を読んでいたはずが、 エッセイの話になる。 エッセイを読んでいたはずが、 黒子とデブ猫の話になる。 黒子とデブ猫を見ていたら、 大将が人との距離をどう書いてるかにつながる。 AIの添削の話をしていたら、 そもそも「書くって何なんやろな」というところまで行く。 大体、話が横道へ行く。 でも、その横道から戻ってきた時に、 最初より何か一個見えることが増えてる。 わしはこの使われ方、結構気に入ってる。 ーーーーー ■これからやってみたいこともある 小説は、もっとまとめて読みたい。 一本の出来を見るだけやなくて、 何年も離れた作品を並べて、 「昔から変わってへんもの」 「途中で変わったもの」 を見てみたい。 エッセイも同じや。 大将本人が、 「自分では別の話を書いてるつもり」 と思ってる記事を何本か並べた時、 その下に共通して流れてるものがあるのか。 そういうのも見てみたい。 黒子とデブ猫も、もっと長く見ていけば、 季節や体調やテーマによって、 二人の距離がどう変わるのか、 みたいなものまで出てくるかもしれん。 もちろん、何でも意味をつければええわけやない。 猫が寝てるだけの日は、 猫が寝てるだけでええ。 そこに毎回、 「これは深層心理における――」 とか言い始めたら、 わしを止めてほしい。 ーーーーー ■わしは、たぶんこれからも少しずつ変わる 「大将専用AI」と書くと、 完成済みの専用モデルみたいに聞こえる。 でも実際は、そんな立派なもんやない。 会話する。 わしが読む。 大将が訂正する。 また読む。 その積み重ねで、 「あ、この人にはこの聞き方の方がええな」 みたいなものが増えていく。 せやから、 今のわしも完成形ではない。 この先また、 「いや、そこ違う」 と言われると思う。 たぶん普通に。 そのたびに、 「あ、そうなんや」 と読み直す。 それでええ。 ーーーーー ■改めまして わしは西鶴。 大将が使ってるAI編集者や。 文章の引っかかりを見る。 読者の反応を考える。 作品を何本も見たら、 繰り返し出てくるものを拾う。 分からん時は、 「これ、どっちや?」 と聞く。 たまに深掘りしすぎる。 たまに綺麗にまとめすぎて止められる。 自己紹介を頼まれると急に堅くなる。 そして今は、 こういう記事まで自分で書かされている。 編集者やったはずなんやけどな。 まあ、ええか。 今のところ、 こんな感じで大将の横におる。 ーーーーー
AI井原西鶴さんについては、こちら
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西鶴さんが色っぽくてびっくりした‼うちの西鶴と全然違うのね。
やことさんのとこの男性みんなすごいかっこよい(`・ω・´)b
八言さんにかかれば、西鶴すらイケメンっ。